令和5年9月29日 学校だより巻頭言

(学校だより巻頭言と同様)

※校長の方針として、学校だよりや朝会の話を意図的に関連させています。校長ブログをご覧の方もいらっしゃるとのことですので、こちらでも紹介させていただきます。


奇跡の一皿

 普段、料理を作っていると、“奇跡の一皿”が誕生することがあります。

 私の場合、買い物をしたつもりで買い忘れたものがあったときや、休みの日などで買い物にも行きたくないときに、そうした奇跡が起きている気がします。冷蔵庫などにあるもので、とりあえず何か食べられるものをつくらなければならないからです。

 そのようなときに誕生した“奇跡の一皿”は、再び食卓に並ぶことがないことも多くあります。なぜなら、テーブルに置いた時の家族の会話が、「なに、これ(娘)」「なんだろうね(私)」「え、すごくうまい。ご飯が進む!(できた息子)」「あたりまえだろ!私を誰だと思っているのだ!(私)」くらいで済んでしまうからです。特に思い入れもなく作って誕生した料理で、お腹を満たした後はメモをする気も失せてしまうからでしょう。私だけでしょうか。

 しかし、改めてこのことを振り返ると、とてつもなく尊いことをしている気もするのです。

 いま、国が子どもたちに願っていることは、「これからの社会が、どんなに変化して予測困難な時代になっても、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしい(文部科学省HP)」ということです。

 今回話題にした“奇跡の一皿”ですら、「どんな料理が出来上がるか分からないが、冷蔵庫にある食材で何か食べ物をつくらなければならない中で、これまでの知識や経験を総動員して考え、『これでいこう』と決断して、家族の満腹と笑顔のために料理した」結果、出来上がったものなのです。本来は、何も考えずに作っているのですが、大げさに言えば、“奇跡の一品”にたどり着くまでには、次のような段階があったと振り返ることができます。ちなみにこの段階は、ある私立大学が公開している「応用力」の評価基準を参考にしています。

 話を子どもたちの学習に戻してみると、“奇跡の一皿”が誕生するように、学んだことや経験したことを関連付けながら、他の友達が思いつかなかったりやらなかったりしたことができるようになるまでには、それなりの時間がかかります。学習や料理、楽器の演奏なども、知識やノウハウを安定して活用できたり、自分なりの工夫が再現できたりするようになって、“本当の楽しさ”を感じることができるようになるのではないでしょうか。

 小学校での学習は、初めて出会うことも多く、インプットすることが多くなってしまいます。それでも、高学年の子どもたちを見ていると、自分なりの学び方を工夫して、「学ぶことを楽しんでいるな」と思える子どもたちもたくさんいます。

 もし、目の前のお子様が、勉強に限らず、学ぶことの楽しさを見いだせないでいるときには、“奇跡の一皿”のように、保護者の皆さまの得意な分野で、「楽しくなった瞬間」までのエピソードをお話しいただければと思います。