校長ブログ32
校長ブログ070908 「クスノキが教えてくれたこと」(全校朝会)
私がこの夏、「クスノキ」に会いに、長崎市を訪れたことを子供たちに伝えることにしました。被爆した「クスノキ」のことを、どうしたら伝えられるか、ずっと考えてきました。そして今日、子供たちは、体育館で平和についての話を静かに聞いてくれました。
「今日、校長先生が話すお話は、一人ひとり心に残ることが違うと思います。みんなちがって、みんないいので、ぜひ、自分の中でしっかり考えてほしいと思います。
最初に、この写真(五小のクスノキ)を見てください。私たちの学校のクスノキです。いつも私たちを見守ってくれていますね。今日は、この「クスノキ」の話を通して、みなさんと平和について考えたいと思います。
この写真(長崎市:平和祈念像)を見てください。長崎市にある平和公園の平和祈念像です。横に伸ばした手は、私たちの毎日の平和なくらしを表しています。学校があって、たくさんのおうち、お店や公園、そしてお仕事をする人たちがいます。高く上げた手は、何を指しているのでしょうか。実は、原子爆弾といって爆弾の中でも、核の力を使ったものすごく怖いものを表しています。そして、そして目をつむっているね。亡くなった人たちにお祈りをしているのです。ちょうど80年前、ここで何があったのでしょうか。
80年前、人間は恐ろしい兵器をつくってしまいました。核分裂の力を利用した原子爆弾です。大人の人の体ぐらいの大きさのたった1つの爆弾が、飛行機から落とされ、高く上げた手の方向、およそ500mの上空でさく裂し、その街の全部を4000度の爆風で、一瞬にして吹き飛ばしてしまったのです。
広島に爆弾を落とした3日後の、8月9日に爆弾を積んだ飛行機が、長崎の上空を飛んでいました。佐世保という街を目標にしたのですが、空襲の煙に包まれて下が見えません。今度は長崎市に向かいました。しかし、雲がかかっていて下が見えません。あきらめて戻ろうとしたその時、雲の隙間から、長崎市街が見えたのです。何ということでしょう。
飛行機は爆弾を落とすと、すぐにそこから去りました。そして、11時2分、長崎の街に、恐ろしいことが起こったのです。
あれから80年が経ちました。毎年、8月9日この場所で、世界中から人々が集まって平和祈念式典が行われます。今年は、ここの近くの小学校の5、6年生が合唱しました。この動画はその時の様子です。心をこめて一生懸命に歌っていますね。この曲は、「クスノキ」という歌で、この近くの神社の入り口にある、樹齢500年の大きな2本のクスノキの歌です。80年前のあの日、爆風で幹は折られ、熱で焼かれ、枝は吹き飛ばされ、もう何も育たないと言われていたのに、なんと生きていたのです。
校長先生は、このクスノキに会いに、長崎に行ってきました。その時のことを、みなさんに伝えたいのです。この場所に着いて驚きました。(写真長崎市:片足鳥居)この神社の鳥居は、なんと半分が爆風で吹き飛ばされて、片足になったまま、残されていたのです。
神社の前に立つと、大きな2本のクスノキは葉を茂らせて、肩を組むように堂々とそびえていました。すごく元気でたくましいと思ったのですが、近づいてみて、ハッとしました。幹は真ん中から大きく裂け、体中傷だらけで、治療されていました。幹の中には、あの日の爆風で吹き飛んできた真っ黒の石が、そのまま残っていたのです。
思わず心の中でクスノキに語りかけました。「本当につらかっただろう。よく生きていてくれた。」クスノキは何も語りませんが、「2度と戦争はしてはいけない」「平和な暮らしが1番大切だ」と言っているように思えました。これがこの夏の「クスノキ」の話です
平和が大切なのは、みなさん分かっていると思います。でも平和は、どこにつくるのでしょうか。先生は、私たちの心の中だと思います。いじめや暴力、「死ね」という言葉を使えば、絶対に平和にはなりません。五小は、「クスノキ」を大切にしている学校です。「クスノキ」の縁で長崎とつながっていると思っています。だからこそ、平和な学校を作っていかなくてはならないと思いました。みなさんは、どう思いますか。だれとも仲よくして、誰かが困っていたら助け合って、みんなが笑顔で安心して過ごせる、平和の学校を作っていきましょう。最後に、「クスノキ」の曲を聞いてください。」
私の話は、これで終わりました。子供たちのこころに、何かが残ってくれたら、とてもうれしいです。